編 纂 史
□ 編纂史
◎承和4年(837)8月朔日
仁明天皇の御代、官社に預かり後に従五位上を授かる(続日本紀)
◎天安2年(858)10月22日
文徳天皇の御代、従四位下を授かる(日本三代実録)
◎延長5年(927)
式内社に列する(延喜式神名帳)
◎天徳3年(959)
性空上人、霧島山入山
◎天永3年(1112)2月3日
霧島山噴火により社殿焼失
◎仁安2年(1167)
霧島山噴火により社殿焼失
◎文暦元年(1234)12月28日
火常峰(御鉢)大噴火により社殿焼失
※境内の霊泉「天之井」が涸れ、居住することが困難となり山麓の瀬多尾に遷座する
◎享保元年(1716)9月26日
新燃岳巨大噴火により社殿焼失
◎享保2年(1717)1月3日
新燃岳巨大噴火により境内辺り一面、降灰の為に埋没
※当時別当の恵宝法院隆盛を始め、小林社家6名、衆人50名余が奮起して御神体の守護に向う。見事御神体を埋没した中から探し出し、柴神輿に移し里坊下山中の今坊権現社近くに安置する。その後も噴火が止む気配がないので、小林細野岡原に仮殿を設けて遷座する。
◎享保14年(1729)8月27日
火山活動が静まり、瀬多尾に遷座を計画するも困難と判断し、夷守岳東懐に社殿を新築し遷座する
◎明治元年(1868)
霧島岑神社と改称
◎明治3年(1870)
瀬戸尾寺廃寺
◎明治6年(1873)
県社に列する
◎明治7年(1874)
夷守神社(夷守権現社)と合祀